森田の映画記録

観た映画を記録していきます。

7月6日、我々は『ビリー・リンの永遠の一日』を視聴せねばならない

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昨日、クロード・ランズマンが死んだ。2018年7月5日に死んだ。彼は映画『ショア』を撮影した。スピルバーグ=ランズマン論争というのがある。ランズマンは同時期に公開されたS・スピルバーグの『シンドラーのリスト』を痛烈に批判した。

「民族虐殺のような苛烈な現実は、2時間で収まり筋のあるエンターテイメントにして良いはずがない」。導入があり、盛り上がるシーンがあり、共感があり、そして「終わり」がある。「観たあとに苛烈な現実が終焉を迎えたと安心できる映画」。

 

虐殺は終わったのか、差別は終わったのか。虐殺は2時間映画としてのエンターテイメントなのか。ランズマンはこの問いに対する明確な「ノー」を突きつけるアンサーとして、9時間30分のドキュメンタリー映画である『SHOAH ショア』を1985年に作成した。

 

私の考えだが、人が殺害されることは、エアコンの効いた部屋で自らの幸せを噛みしめるための「お楽しみ」ではない。現実に存在する「人が殺された」という事実を、あたかも「おもしろコンテンツ」として消費する人々は、「現実に虐殺を行った人間と何が異なるのだろうか」。虐殺を観察することで「我々の優位性を実感する」ことは、虐殺の起こる仕組みと全く同型である、「我々の優位性を実感したい」。

 

私は同じ理由から、日本人が戦後70年経った今も引きも切らずに愛好するヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を憎んでいるのだが、この作品の中では収容された体験が彼に「もたらしたもの」が語られる。一体全体、「虐殺が私たちの心に何かをもたらす」などということがあるのだろうか。

 

虐殺が何かをもたらす、人が人によって殺されたことが何かをもたらす、私が正しく生きていくために皆さま殺されてくださってありがとう。私のために、私が正しくあるために、そこにいるお前らは全員理由なく死ね。そんな要求を、人間は人間に突きつけて良いのか。

 

 

今日、2018年7月6日、オウム事件の首謀者たち7人が死刑に処された。国会審議中に死刑が執行されることは極めて異例とのことだ、それはそうだろう、国会審議中は国会の内容をニュースとして流さねばならないのだから。

 

ニュースは上から下まで全て「死刑の生中継」だ。誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ、誰が今死んだ。7人全員が、人々を殺しまくった人間が死んだ。面白いですね。とても面白いですね面白いですね。

 

あなた方は、人が人によって殺されるのを面白がっている、それは溜飲が下がる思いですか? 権力によって人間が「正しく」「誰もが反対しない理由で」殺されている様は面白いですか? とてもコンテンツだと思いますか? 私はそうは思いません。

 

人間が「正しく」殺される。「正義のために」人間が殺される。ショーとして、エンターテイメントとして人間が殺される。虐殺を認めない、我々は虐殺をするような人間を絶対に許さない、だから虐殺をするような人間のことを殺す。

 

その「正しさ」や「反論しえなさ」を誰が決定したのですか? あなた方の感情ですか? なぜあなた方の「感情」がいつでも絶対的に正しいのですか? あなた方の感情は神の決定と似たようなものなので、あなた方が認めたあらゆる虐殺は虐殺ではなくなり、罪は罪ではなくなり、殺人は殺人ではなくなり、シンプルなショーとなる。愛国心や絆や「仲間としての我々」を実感するための装置として殺人が行われる。

 

この虐殺に共感しますか、いいねと思いますか。いいと思ったらRT!

 

ビリー・リンの永遠の一日で描かれるのは、イラク戦争から一時帰還した若者たち。偶然、仲間を命がけで救った様子がカメラに捉えられた主人公は一躍「アメリカの英雄」になる。映画化しよう、アメフトのハーフタイムショーに出てもらおう、そしてまた戦争に帰って命がけでアメリカを守ってもらおう! 憎むべき敵を倒すために!

 

だけど戦争って本当に「ショー」なのか? 自分の経験したものが「映画」になって「アメリカの物語」になるのか? そんなことが可能なのか?

 

なにか立ち現れた現実を「表象」すること、例えば「映画」という表現に置き換えること、の限界をランズマンは語った。ビリー・リンの永遠の一日で語られるのはまさにこの表象の限界だ。何かを言い表そうとしたとき、言い表す人間の「意図」によってこぼれてしまう現実の「正しさ」。

 

主人公の姉は主人公に「もうイラクには帰るな、あなたが死んでしまう」と懇願する。PTSDになったという診断書を出せば帰らなくてすむ、と言う。主人公は悩む。

 

主人公は帰還中、チアリーダーと恋に落ちる。彼は「行かないで」と瞳を潤ませるチアリーダーに「君を連れて逃げてしまいたい」と言う。彼女は一瞬、幻滅したように彼を見つめる。「あなたは英雄でしょう」。

 

それで死ぬことは、誰かが死ぬことは全くエンターテイメントで、人々はその「エンターテイメント」を観て「人が死ぬこと」を理解したような気になる。例えば『ダンケルク』を観て、例えば『エンド・オブ・ホワイトハウス』を観て、例えば『スター・ウォーズ』を観て。

 

我々は虐殺に加担している。映画は虐殺に加担している。エンターテイメントは虐殺に加担している。加担どころか、虐殺そのものを行なっている。

 

どんなふうに現実を把握し表象することが可能だろうか。

昨日クロード・ランズマンが死んだ。きょう、オウム真理教の幹部らがつぎつぎと死刑に処された。我々「正しい人間」には、「間違っている人間」を殺す権利がある。「間違っている人間」を殺せるのならば、すなわち我々は「正しい人間」だ。

20 ヨンガシ-変種増殖- / パク・チョンウ

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なんとなくサスペンスが観たいな〜と思ってNetflix観てたらこれが出てきたので、作ったパスタ食べながら観てた。

 

ら、ハリガネムシっていう寄生虫が人の脳をコントロールしてみんなが死ぬぞみたいな映画だったんだけど、ハリガネムシってご存じですか? 筋がなくてシュッとしたミミズみたいな・・・糸くずみたいな・・・とにかく足がなくて細長くてウネウネする系の外見の寄生虫。今インターネットで生態を見てたんだけど、もう・・・なんというか・・・まあ・・・かゆい・・・。。うなじのあたりがゾーッとなる。

 

で、なんとなく食べてるパスタがハリガネムシに見えてきて、ゲ〜ッて思ってたら、アナイアレイション(NetflixのSFホラー)に出てくるあるシーンも思い出してしまって(これはなんかあまりにも情景的すぎて説明するのが難しいのでアナイアレイションを観てほしい、アナイアレイションはかなり面白い映画だった)、パスタ残してしまった。ごめんなさい。。。

 

っていうハリガネムシが、もし人間に寄生したらどうする? みたいな映画。まあ主人公が製薬会社勤めということもあり、これは製薬会社のなんらかのあれがあれするんだろうな〜と思っていたら本当にそういう感じだった。

 

主人公の男がめちゃ嫌なやつなんだよな〜。勝手に株に失敗してめちゃめちゃ働かないといけなくなった(し、妻には「俺に恥をかかせるな!」つって働かせない)くせに、仕事で疲れたとか言って家族を毎日毎日怒鳴りまくる。あ〜〜嫌なやつですね!! ムカムカ! ってなって、あんまり観ないようにしようと思ってセカンドベビーカーのブログ記事を読みながらチラチラと鑑賞した。

 

嫌な映画なら観なきゃいいじゃん! て思うんだけど、なんとなくグエムルに似てるなあと思ったんだよね。「仕事しない警察!!! 人間のエゴによって生み出されるモンスター!!! ダメ人間の男主人公!!!! 家族の絆って最高!!!!!!!!!!」みたいな。

 

あと、韓国でも、「妻が働く=夫が甲斐性なし」っていう構図があるんだなあとびっくりした。ああいうのは、高度経済成長とかを経て形成されるものかと思っていた。女が働くと男の名誉に関わるっていうのはどういう文化なんだろう。そういえば、マダム・イン・ニューヨークでも、主人公の主婦(インドのどこかの地方在住)は「あんた働いてないでしょ?」って夫にバカにされてたな。女性の教育レベルとかと関わるのだろうか。教育っていうのがすなわちお金を稼ぐ方法になる場合もあるので・・・。高学歴のほうがお金を稼げるみたいな考えもあるし、やっぱり教育と労働は関わっていたりするのかな。

 

思うことは、海外でMe too運動とかフェミニズムの運動とかがあって、すごいなあ、進んでるなあ、って思うけど、これは裏を返せば、海外でも最近までは日本のように辛酸を舐めてきた女の人がいるっていうことだよね。気になるんだけど、その「女性差別」っていうのは、実際のところどういうものなんだろう。たとえば、題材にしやすい? というか、「分かりやすい」というか、みたいな、痛ましい殺人事件とかじゃなくて、日常生活の中でどういうふうな蔑視があるんだろうっていうことを思う。

 

こないだ父が「アメリカとかでフェミニズムが強いものになりやすいのは、海外だと男の体格がすごいから、本当に殺人事件が起こったりしてしまう。あと、海外の男は"誰のおかげで生活できてる"とかは言われないだろうね」みたいなことをペラペラ喋ってて、え、そうなの? って思った。

 

日本でも殺人事件起きてるよね? 年間100件ぐらい、夫のDVで妻が死んでて、それってかなりすごい数だと思うけど。可視化されないだけじゃないの?? って思ったことと、

なんで海外の家庭で起きている夫から妻への罵倒について、父は研究者でもないのに知ったような顔で語れるんだろう? と不思議だったんだよね。でも、どういう蔑視が家庭の中にあるのかがよく分からない。文献も映画も、どうやって調べたらいいのかよく分からない。

 

ヨンガシで「俺に恥をかかせるのか」って主人公が怒ったのは、そういう意味で、「あ、韓国も同じような言い回しをするんだな」と面白かった。この映画は全然、この言い回しについて「自覚的に」使用するとかじゃないんだけど。

 

どんな国の女も、同じふうに罵倒されているのかなあと思うときがある。罵倒の程度とか、切り口が違ったら、「フェミニズム」と一口に言っても、見えている世界が違うのかなあと思う。

 

まあ、ヨンガシの話ではないんだけど。ヨンガシはまあ・・・これ観るならグエムル観るかなあ。最初の時点でオチが読めてしまうので・・・。でも寄生虫にみんなが感染するっていう設定は、リアルにありそうで良かった。2018年に製薬会社が陰謀を企むとしたら、ハリガネムシぐらいならいけそうだなって気がした。いや、難しいのかな、ハリガネムシの生態よく分かってないらしいし・・・。

19 ワンダー 君は太陽 / スティーヴン・チョボスキー

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監督と脚本がウォールフラワーの人か〜。ウォールフラワーはいい映画だったよね。美女と野獣の脚本も書いてるんだね。いい仕事しかしないって感じの人だね。監督した作品がまだ3作目なのか。次回作とか決まってないのかなあ。

 

ワンダーいい映画だった。シング・ストリートの切なさみたいなのを全て解消して、ハッピーエンドに持ち込んでいく力強さがある映画だった。歌わないんだけどgleeとか観たときの感じに近いかも。みんなが闘いながら生きてて、その過程で傷つけあったり、全く偶然に仲良くなれたりして、最後はよかったねで終わるみたいな。

 

急に対比のためにシング・ストリートの話をしだすんだけど、シングストリートは、ゴミカスみたいな生活をしていた主人公が、音楽の力で立ち直って、最後は新天地に大好きな恋人と旅立つぜ、みたいな話なんだけど、主人公のハッピーエンドのために必要不可欠なのが、主人公と全く同じ境遇だった主人公の兄。

 

主人公の兄が音楽大好きで、その音楽知識を聞いたから主人公は音楽始められて、それから女の子の落とし方とかも相談に乗ってくれて、最後、新天地に旅立つためにお見送りとかもしてくれるんだけど、兄もやっぱりゴミカスみたいな生活しかできなくて、ドラッグやってて、音楽も辞めちゃってて、弟は兄の助けがあったから、まあ反面教師もあってなんとかなったけど、兄はもうどう考えてもこの生活から抜け出すのは厳しいよな、っていう感じ。でも、それでも、主人公が新天地に旅立つのを見送ったあと、兄はすっごい全身全霊のガッツポーズをするのね。その兄のガッツポーズで映画が終わるという感じなんだけど。

 

兄もまあ言ってしまえば若者なんだけど、妙に大人ぶって、人生を全部かけた自己犠牲をして、なんの義理もない弟に生きろという、みたいな感じが、無性に悲しい。いい映画だなと思ったわけだけど。

 

ワンダーも、そういう映画なのかなあと最初思って観ていた。主人公のオギーは難しい病気で、何回も手術をして、ようやく健康に生きられるようにはなったんだけど、顔がまあちょっと「ノーマル」とは異なる。でも、普通の子と同じように、お姉ちゃんがいて、犬を飼ってて、お父さんとお母さんがいて、スターウォーズが好き。

 

まあこういう映画で、オギーが誰からも受け入れられずにボロボロになって自殺するみたいなオチは考えられないから、オギーはみんなから愛されるんだろうなと予想しながら観るんだけど、ああこの家族はお姉ちゃんキツいよな、と思う。お姉ちゃん、弟が手術しまくってるのとか、赤ちゃん返りもしづらいし、寂しかっただろうな〜とか思いながら観てる。

 

と、なんと、お姉ちゃん視点の物語になるの。「私もお母さんに自分のことを観てほしい」と。あっ、いい映画だ! と思った。

 

ところが、この映画はそれだけじゃなくて、オギーの親友になった男の子とか、お姉ちゃんの親友とかにも視点が移っていく。映画でここまで綿密に人のバックグラウンドが描けるんだなあと感心した。映画だし、長くて2時間しかないから、ストーリーを追いかけつつ人物像の掘り下げもするって大変だと思うんだけど、ちゃんとストーリーは進んでいくし、いつの間にかラストシーンになってる。すごいなあ、巧みだなあ、と思った。

 

観ながら、次はどの子の心情を掘り下げてくれるんだろうな〜と思って、映画が終わって欲しくなかった。誰もが闘っているのだ。ドラマで観たい内容だった。こういう誠実な人間劇みたいなのはgleeを観てウットリしていたあの頃そのものだー。年齢的に、恋愛要素とかが入ってこなくて、gleeほど・・・こう・・・複雑な感じにはなってなかったけど。

 

ただ、いじめっ子の描写とかは中途半端に終わっちゃったなあという印象。いじめっ子の親とかはもうなんか意味わからん悪役みたいに描かれていて、すごく残念だった。あのシーンは浮いてたなと思う。「みんなのためにも死ね」とまで言ってのけた子が、どうやったらオギーと仲直りできるんだろうって考えてたら、あっさり転校してしまった。転校(と、それに伴って、今までの友達を全て失うこと)がいじめっ子にとっての「罰」みたいになってて、そこも残念。罰を与えればいいというものではないと思った。

 

総じて、映画で、あそこまで「あらゆる登場人物が、その行動をとるバックグラウンド」みたいなものについて描こうとしたのは、すごい挑戦だなと思う。でも、まあ、そうはいっても、映画でそういう試みをするのには限度があるし、二つの学校(お姉ちゃんの学校とオギーの学校)を舞台にしてたら登場人物はどんどん増えるわけで、全ての登場人物について根拠を与えるのは難しい。だからドラマでやってほしいなと思った。

 

原作読んでないから、原作に忠実なのだと言われればそれまでなんだけど、いやいや、2018年に映画を作るとき、たんに「原作に忠実に作る」って意味ある? ないと思う。2018年的なメッセージを込めるべきで、だからこそ、いじめっ子には罰を、制裁を、この世界からの退場を、でもって「解決」とするのは、なんだかよくないなあ〜と思った。それって「差別主義者は殺せ」っていうのと異なるのだろうか、「差別主義者がこの世から存在しなくなったらいいのに」っていう願望をマイルドな形で叶えると「いじめっ子が退学になったので学校が楽しくなった」っていうことになるんじゃないのかな。

 

いい映画だったけど、そこだけ残念。でも子役ちゃんたちみんな演技鬼ウマ&可愛すぎだったから、是非是非ドラマで続きを観たいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

18 ラフ・ナイト 史上最悪の独身さよならパーティー / Lucia Aniello

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想像してみてほしいのは我らがケイト・マッキノンとスカーレットヨハンソンが楽しくフレンドしてる光景で、それは非常にグッドですよね。

 

私は御多分に洩れずケイト大好きクソミレニアル野郎だから、ケイトが出てるってことはまあ観るかと思って観たよ。ところでケイトがどんなに大好きでもマジック・スクール・バスは無理だったね。そもそも先生がケイトだっていうのもしばらく信じられなかったからね(ケイト声あてるのめっちゃ上手)。なんかあの手のアニメはいけるときといけないときがあるよね、トロールハンターズも妊娠中はすっごい面白かったんだけど産後になってシーズン追加されたから観たら全然面白くなくて愕然とした・・・。まあギレルモだからね。

 

なんというか、ハング・オーバーとブライズメイズあたりか? 邦題は明らかにブライズメイズへのリスペクトだしなあ。「バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!」とか、こういう結婚前夜系っていいよねえ。もう絶対ハッピーエンドって分かってるし・・・。夫と結婚する前に「結婚前夜」系は楽しんで観たなあ。ブライダル・ウォーズとか。

 

大学時代の旧友4人プラス、なんか出てきたケイトの5人組で話が進んでいく。

 

不思議だなと思ったのが、登場人物の誰一人、「ストーリーになくてはならない存在」じゃなかったところ。「ストーリーの進行のために必要不可欠な登場人物の個性」みたいなのがなかったんだよね。なんかそういうのあるじゃない、「麻薬のブローカーとしての腕前で、絶体絶命のピンチも話術で切り抜けた! クズみたいな俺たちだけど〜!」とかそういうやつ。全然なかった。あったとしても、なくても話が成立するなと思った。アマゾンレビューとかで「キャラが薄い」みたいな批評があったけど、そうなのよ。映画における「キャラ」っていうのは、「ストーリーの進行のために役立つ要素」ってことでもあると思うんだけど、そういうのがないんだよね。

 

本当に「そのへんにいそうな女の人たち」が、ハチャメチャに面白いことをしでかすっていう感じで、ハチャメチャ映画の作りとして面白いなあと思った。そんなこと起こるわけねーだろと思いつつも妙にリアル、みたいな。ああそういう状況になったらそう動くかもな〜みたいな。

 

こういうのってどうやって脚本作るんだろう? メインのプロットだけはあって、会話とかはざっくり決めてあとはアドリブとかかなあ。ケイトならできそう。

 

ちょっとだけバトルシーンみたいなのがあるんだけど(まあそりゃハチャメチャコメディ映画にはバトルシーンあるよね)、そのときのスカヨハの凄まじい「説得力」みたいなのに笑ってしまった。ああスカヨハならそりゃいきなり銃持った男相手に勝てるよな・・・ってなった。スカヨハじゃない人があれをいきなりやったら、そういう戦闘訓練なんて一切受けてない議員候補者のはずでしょ?! ご都合主義過ぎない?! って思うかもしれないんだけど、でもスカヨハだから、そりゃまあそれぐらいやるだろって妙に納得してしまう。

 

そういう意味ではスターメソッドの演技って感じなのかな? だからキャラクターの個性みたいなものをあえて味付けしなかったのかも。ケイトのキャラもかなり「ケイトっぽい」感じだなって思ったし。

 

すごい面白かった。見終わったあと、ストリッパー闖入のシーンをもっかい観ると、なるほどね〜と思えるよ!

17 マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル(Nativity!) / デビー・イシット

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こないだザ・ギフト観たので、クリスマス映画観よう! と思って、前から観よう観ようと思ってたマーティンフリーマン主演の映画を観ました。

 

むちゃくちゃよかった・・・。子持ちの方はぜひ観てほしいし、子持ちじゃなくても子供大好きな人は見て損なし。小さな恋のメロディとか好きな人は好きなんじゃないのかなあ。とにかく10歳前後の子供たちがワラワラと楽しそうに歌ったり踊ったりしてるところが最高。

 

マーティンフリーマン、子供たちにめちゃめちゃ懐かれていて、普通にいい人なんだろうなあこの人・・・と思った。この人「破天荒な人に振り回される常識人キャラ」っていうか、破天荒な人に憧れがあるし、自分では自分のことを普通の人間だと思ってるんだけど、実は全然普通じゃないキャラ、みたいなの死ぬほど似合うなあ。しみじみと、シャーロックのキャスティングはよかったなあ・・・。あのキャスティングした人天才なんじゃないの? 銀河ヒッチハイクガイドの映画バージョンもう一回見たいなあ。

 

もうこのハッピーな動画サムネから分かる通り、なんやかんやあってクリスマスの劇をみんなでやるぞ〜! みたいな、子供版gleeって感じなんだけど。いいのは、みんながみんな歌とかダンス激ウマっていうんじゃなくて、あんまり上手じゃない子もいるっていうのがよかった。上手じゃないなりにキラキラ楽しい感じで踊るの。癒されまくった、この映画からはマイナスイオンが出ている。

 

悪役(っていうほどではないけど)がちゃんと「楽しくやろうぜ!」って許されてるのもクリスマスのミラクルって感じでホッコリ。1年ずっとクリスマスだったらいいのにね。

 

この映画の一つの筋として、「期待されてない子供たちでも、期待されて褒められて必要とされれば輝けるよ」みたいなのがあるんだけど、こういう主題はハノーバー高校落書き事件簿とかとも通じるところがある。ていうかまあ、よく言われることではあるけども。期待されてないときに、それでも自分の力で真価を発揮するってすごく難しいよなあ。gleeがあれだけパワフルなのは、「どうせあんたたちなんてLoserなんでしょ?」っていう負のレッテルをはねのけるためにはあれぐらいの実力がいるんだっていう悲しさでもある。

16 ザ・ギフト / ジョエル・エドガートン

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なんかどっかでオススメされてたサスペンス。サスペンスって、だんだん謎が明かされていく系だから、ネタバレなしで感想書くの難しいよね。というわけでネタバレしながら書きます。

 

なんか引っ越してきた夫婦。近所の男がめちゃくちゃ贈り物くれる。妻、普通に喜ぶ。でも夫の様子がなんか変。とか思ってたら、庭に勝手に鯉を贈られたり(不法侵入!)、その鯉を殺されたり、普通に怖いやん。みたいな感じになる。で、それにしても夫の様子が変だな〜と思ってたら、実は夫はその近所の男を昔理由なくいじめてたらしい。そんである日、夫は「あいつは車の中に男と一緒にいた、ゲイだ」って言いふらす。近所の男はそれが原因でいじめられて退学、男の父親は彼を半殺しにして逮捕されて収監。人生めちゃめちゃになってた。

 

サブカルオタクがみんな愛好するヨブ記に「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」(ヨブ2・10b)っていうのがある。うちの夫はおにくそ嫌いで、ヨブ記の話をするとイライラしだす。まあそれはいいや。

 

なんか〜、ギフトっていうのは、良くも悪くもなのだという。「夫が近所の男にくれたもの」もギフトで、「近所の男が夫に行う報復」もギフト。いい人にはいいことが起こりますように的なもくもくちゃんみたいな感じのことを近所の男が妻に言う。

 

うーん。なんとなく「だからどうした」って感じがしてしまった・・・。好きな人は好きなんだろうな〜。エンターテイメントだった。あと出産の演技がひどかった・・・。あんなの顔に力が入りすぎて顔の血管が切れるだけだし。破水してすぐ生まれてるのもウケるし・・・

 

個人的には、サスペンスとかスリラーとかに赤ちゃんと子供を巻き込んで欲しくねえんだ。大人が勝手にやっててほしいんだ。「赤ちゃんまで巻き込んだガチの絶望!」みたいなふうにしたかったかもしれないけど、胸糞悪いんだ。

 

大人の男どうしが勝手にやってればいいのに、女をレイプしたり、妊娠させたりするの、意味が分からねえし、それで大人の男が勝手に絶望したりしてるの、意味が分からない。流れ弾が当たった女子供が一番泣きてえよ。勝手に二人で殴り合って二人で死んでくれればよかったのに。って思いました。男性向け映画でした。2020年代はこういう映画が駆逐されてるといいなあ。